2017年4月23日日曜日

ゴースト・イン・ザ・シェルを観てきたが

『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観てきて、全然面白くなかった、つまりシェアしたくなるぐらい面白くなかったのでわざわざブログ記事を書いている訳なのだが、何がそんなに面白くなかったのか。

行くだいぶ前に友達のシェアしていたハリウッド・リポーターの記事――アメリカで俳優業をやっている日系の女性がいかにこのハリウッド版『攻殻』がひどい"ホワイトウォッシング"をやらかしているか(というかこのWikipediaのリストはすごいな!)、ということをツッコみまくる内容で(しんどいので真面目に読んでいないのだが)――を流し読みしていたので、そもそもそんなに期待はしていなかったものの(というか、読んだからこそ色々なことが鼻についたのかもしれないが)、ほとんどこの映画をOffensiveにまで感じてしまったのは、単に元の『攻殻』の映画がそれだけ良い作品だったと言うだけなのかもしれないが。

といって別にひどい原作レイプだと言うつもりはなく(面白くないのは面白くないのだが)、例えばちゃんとバセットハウンドを出してくるあたりに監督のオタク感を感じるし(つまりそういう意味では98年のハリウッドゴジラよりは14年のハリウッドゴジラに近いし)、キャスティングも商業的な理由とかアメリカの文化的な文脈を考えれば十分正当化されるだろうし(大物をメインキャストに据えなければ宣伝大変だろうし、結局アメリカ人の3/4は白人なのだし、そして公安9課のキャスティングからはそれなりにDiversityをAppreciateしようとする姿勢を感じるし(というかそのこと自体がすでにアメリカ的すぎるという話でもあるのだが))、つまり攻殻機動隊を元に作られたアメリカ市場向けの娯楽映画としては全く正しい作品なのだが。

それでも、単に「こんなの寿司じゃない!」的なリアクションを超えて(ところでその手のテレビ番組は最悪なのですが)、やはりどうしてもしこりの如く残ってしまったむかつきは、おそらく次の三点であって、すなわち、①「人間を人間にするのは仲間との繋がりだよね」みたいな所に話が収束していくあたりの「攻殻ってそういう話だったのだろうか」というやりきれない気持ちと(そしてそういう"教訓"をそのまま口に出してしまうあまりの陳腐さと)、② たしかにもともとの『攻殻機動隊』の映画はセルフオリエンタリズム的な要素を活用しながらサイバーパンクな世界観を作り上げているのだけれど、アメリカ人がそれにそのまま乗っかったらそれは単なる普通のオリエンタリズムだろうというツッコミ(つまり黒人が自分たちでN-wordを使うのは良いけど白人がそれを言うのはダメというのと同じ論理で)、そして③もともとの映画『攻殻』(というか押井守作品)の大きな魅力だった「無駄に複雑な政治謀略劇」があまりにも単純化されすぎているだろうという物足りなさ(というのは「コレジャナイ」の領域に足を踏み入れているが(というか原作は漫画だが))。

そしてこれらのむかつきを反芻するうちに改めて思わされたのは、いかに映画の面白さというものがオーディエンスの文化的なコンテクストに依存するかということであり、そうして振り返ると、例えば去年観た『シン・ゴジラ』と『ズートピア』は、どちらもディテールの作り込みが圧倒的で、観てすごく楽しかったのだが、同時にその面白さは(まったく逆の方向にだが)強く「2016年の日本」や「2016年のアメリカ」という文脈に依存していたということであり、そしてそういう作品が時代を超えて残ることは多分ないだろう(僕自身が何度も観返すこともないだろう)ということだった(というのは良い悪いではなく、構造上の必然として)。

というわけで、『ゴースト・イン・ザ・シェル』は基本的に日本の人が日本で観る一次的な意味は全くない(なんかブレードランナーとターミネーターを足して薄めたみたいな)映画だったが(あとちょっとなんかハリー・ポッターみたいなとこもあった)、同時にある意味Thought-provokingな体験だったということで自分を納得させ、そっと心にしまっておこうと思う。

3 件のコメント:

  1. 「サイバーパンクの世界観」が(ここではセルフと書いたが部分的には)外国の(例えば香港とか上海とかの)ステレオタイプを利用しているという点に関しては、たぶん押井守の『攻殻機動隊』も②に近い構造で同じように責め得て、そのへん例えば中国の人とかがあのアニメを見てどう思うのかということは気になる。

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  2. というかたまたま昨日Huluで『シャイニング』を観たのが(コントラスト的に)良くなかったみたいな話もあるのだが、上記の理屈で行くと『シャイニング』のような(良い)ホラー映画はある意味で時代を超えて残りやすいのかもしれない(いや、他のキューブリック作品も古典だが)。

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  3. これもまた「2017年の日本の文脈」だがビートたけしの荒巻がどうしても日清のCMの「いまだ、バカやろう!」に見えてしょうがないみたいな話もあり…

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