ヘッドホンの話

研究室に来たら余りと思しき入試問題が数部置いてあった。昨日で大学入試を受けてから4年経ったわけだ。入試の朝はイヤホンでザビーネ・マイヤーが吹くモーツァルトのコンチェルトを聴いていた。メンタルコントロールのために試験の前に聞く音楽は非常に重要で、あまり勇ましい曲を聴くと緊張しすぎるし、過度にリラクシングでも気合が入らなくていけない。色々の試行錯誤のすえ、適度にチアフルなイ長調のクラリネット協奏曲が最終的に定番の座に落ち着いていた。

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ちょうど同じ2011年2月26日に、『英国王のスピーチ』という映画が公開された。試験と地震の間のどこかで僕は(その時付き合っていた人と)この映画を見に行ったのだけど、偶然にもこの映画にはBGMとしてモーツァルトのクラリネット協奏曲の第1楽章が使われていた。映画はクラリネット独奏の入ってくる直前で終わってしまうのだけど、僕は何かそれについて愚にもつかない事(協奏曲を独奏が出てくる前にカットするのはけしからん、とか、モーツァルトの協奏曲は実はバセットクラリネットと呼ばれる低音を拡張された特殊な楽器のために書かれていた、とかそういう話)を延々しゃべり散らしたことを記憶している。程なくして僕はその女の子に振られることになる。

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一昨日あたらしいヘッドホンを買った。JVCの2000円ぐらいのやつで、これまでに2回断線させているので同じものを手にするのはこれで3台目になる。安いけど遮音性も良くて音質には満足している。久しぶりにいい音(その前に間に合わせで買った10ドルのカナル型イヤホンは本当に本当に酷かったのだ)で音楽を流しながら街を歩いていると、ヘッドホンで音楽を聴きながら外を出歩くというのは単にどこでも音楽を楽しめる、というのとはまた違った意味を持っている、ということを今更思った。まあ"作業用BGM"なんて言葉が一般化してるぐらいだから、こんなことは誰でも思いつくだろうし、誰かがどこかにきっとちゃんと書いてると思うのだけど、つまるところヘッドホンで聴かれる音楽は現実の「劇伴」として機能している、と思うのだ(思いませんか?)。というのは単に感傷的な気分の時に感傷的な音楽を聴いていっそう感傷的な気分に浸る、といった話ではなく、ヘッドホンで自分の生活の退屈な一コマ(通勤通学とかね)に音楽をアテてやることで、それを映画のワンシーンのように見立てて、意味ありげなドラマの一部のように仕立てあげて、自分を観客としてそこから切り離してしまう、というような事をやっているのではないか、という事が言いたいのだ。例えば今朝の僕は高橋アキのサティを流しながら駅まで15分(15分!)歩いていたのだけど、Gメイジャーセブンス〜Dメイジャーセブンス〜という風にジムノペディかなんか鳴っていると、雨上がりのクソ陰気で味気ない調布市の風景(すげぇ中途半端なサイズの畑とかがいっぱいある)も、その中をとぼとぼ歩いている僕(買って7年ぐらいたってるユニクロのダウンジャケットを着ている)も、何となく絵になるような気がしてくるではないか。こう、まるで、筋はないけど味はあるのだ的、ミニシアターでしかやってない的映画の冒頭みたいではないか。高橋アキがペダルから足を離すと同時に手書きのタイトルがフェードイン、しそうではないか(ということは全部歩いてる最中に妄想するのだ)。それに、一応これには据え置きのスピーカーではなくてヘッドホンでなくてはいけないもっともらしい理由があって、というのは、観客を兼ねている自分以外の登場人物に聞こえちゃったらそれは劇伴音楽ではなくなってしまうからだ(この際ミュージカル映画は無視じゃ)。何の話かだんだんわかんなくなってきましたが、とにかくヘッドホンを使ってそういう風に構えてやることで、イヤな事とかが起きても、まあドラマの一部だしね、そういうこともないと話が面白くなんないよね、と簡単に傍観者面ができて、精神衛生上良かったりして、ウォークマンなりiPodなりが飛ぶように売れたのには、そういう理由が部分的にでもあるのではと思いました、というのでこの話はおしまいである。
(おしまい)


ちなみに僕はオーパーツ地味た容量4GBのiPod miniを後生大事に使っている。


コメント

  1. 自分よりもはるかに多くの曲を知っている人ないしコンピューター(集合知)が、適切な劇伴を選曲してくれるサービスというのがあったらちょっとは流行るかしら、ってたまに考えるのだけど、そのためにはコンテンツではなくてそれを可能にするプラットフォームが必要だな、というところで考えが止まってしまう(適切な選曲、という部分に個々人の音楽経験が影響してくる、というのはひとまずおいといて)。

    そういえばニューオーリンズに行ったときに、NOMAと略される美術館に行ったのだけど、その白くてひんやりとした大理石に囲まれた静謐な空間のすみっこで儚い系の曲を即興し続けるピアノのお兄さん(たぶん雇われていた)がいて、大変雰囲気の良い感じの空間が演出されていた。まあ、ひとたび絵を見始めたら今度はそれが気になって邪魔だったのだが。チケット売り場で働いてる限りはもう毎日が映画か小説のワンシーンになるかもしらん。
    みたいなことを思いました。良い記事だね。

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