8年ぶりに日本に永住することになった。
ミュンヘン緊急脱出の顛末
生命系のポスドクは短くても4, 5年が相場で、自分が師事してきたPIたちもたいてい3年ぐらいで(いわゆる"姉妹誌"前後の)フルサイズの仕事をまず1本出し、2本目のデータを取りながら就活をして、独立してから2周目の仕事がやっとジャーナルに出る、みたいな経歴の人が多い。そんなわけで、自分も少なくとも2027年ぐらいまではミュンヘンにいる覚悟をしており、なので昨年の年頭所感にも「2巡目の仕事」云々みたいなことが書いていて、実際3月末くらいまではその線で色々探索的な行動実験をやっていた。しかし4月頭になってPIのミュンヘンでのテニュア交渉が決裂したことが明らかになり、(たった3ヶ月後の!)7月1日付で米某大学に学科長として着任するということが決まってしまった。
今のアメリカのアカデミアの混沌とした状況の中で、ビザや引越しの心配をしつつ、向こうでの研究室の立ち上げを手伝いつつ、2巡目の仕事をやって、同時に遠く離れた日本での就活をするということはあまりにもしんどく、かつ1巡目の仕事はほぼ区切りがつきそうなところでもあり、また幸いなことに支援をいただいている財団のフェローシップに(もっぱら就活向けに)中途での帰国を認める条項があったので、自分は日本に帰国してポスドクを続けるという決断を4月1週目にすぐにした(その後すぐに理研CBSでポスドクとして受け入れていただけるということが決まった)。
そんなわけで速やかに次の決まった自分はミュンヘンに残った同僚と比べると遥かにラッキーな立場ではあったのだが、そうではあっても急な引っ越しは大変なもので、
- フェローシップを2回も(元PI→ミュンヘンの隣の教授→理研)移動するために、ただでさえ仕事の遅いTUMの財務部・法務部と夏休みにやりあう羽目になり、ギリギリまで8月以降の給料が出るか不明だったり、
- 退去や実験打ち止めに間に合わせるために大急ぎで論文3報のリビジョン・投稿をやったり、
- 退去に向けた次のテナント探しの内見をアレンジしたり、壁を塗り直したり(基本的に個人経営の借家の大家というのは意地悪な姑みたいなもので、やりとりして愉快なものではない)、
- 大慌てでグラントを書いたり
ということを、すでにコミットしていた学会3件の合間を縫ってしなくてはならず、たいへん気忙しかった。といって別に激務だったとかいうことはないのだが、PIなり大学事務なりジャーナルなりからの重要な連絡を焦りながら待っている時間が長くて、嫌だった。忙しくても、自分でやればやるだけ前進する、自分に主導権のある仕事をしている方が幸せだと思った。
仕事の展望について
色々文句を言ったが、仕事の出力としては論文が3本出た(1本はアクセプト済みで、1月中に出版予定)ので、少なくとも見てくれとしては求人市場で戦えそうな感が出てきたので、良かった(といっても、本質的な知的生産をしたのはほとんど24年内で、25年は仕上げだけだが)。
- 脊椎動物と昆虫の視覚を比較したレビュー
- 記憶に基づく視運動反応のアルゴリズムについて
- 脳内コンパスに視覚情報が統合されるしくみについて
2巡目のネタとして考えていたものが本当は色々あったのだけれど、半分は行き詰まり、もう半分は既刊論文のSupp Figに吸収されてしまったので、動いている「二の矢」みたいなものはなくなってしまった(異動に際して変に引き継ぎがあるとややこしいというのもあるが)。新所属ではExpertise的にもできることがまた変わってくるので、26年はフレッシュな気持ちで研究を頑張りたい。
理研でのポストは、HFSPのお金に紐づいていて、一応1年2ヶ月ということになっている。延長する手立ては色々あるのだけれど、やはりアメリカやドイツに渡った時のようにこれから5年前後ここでどっしり構えて成果を出すぞ、というよりはもっと過渡的な、「中二階」のような状態にある感じがする。自分の人生が本当の意味で次のステージに進むのは、やはり独立ポストを獲得した時だろう。予想外の形での帰国だけれど、in situで就職活動ができるというのは僥倖である。求人は逐次的に流れてくるので、同時的な比較ができないところが怖いのだけれど、自分の競争力を信じて焦らずやっていきたい。
旅行の年
今年は学会出張を含めて今までないぐらいあちこち行った一年だった。本当は退去直前にどこか南ヨーロッパに…と思っていたのだけれど、引越しの手配とかに追われていたらやる気がたまらず結局行かなかった。
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