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年頭所感(ポスドク1年目の総括)

慌ただしかった2022年と比べると、2023年は比較的腰を据えて仕事のできた一年だった。

良かったこと

  • 博士時代の最後の論文がやっとアクセプトになり(10月)、やっと前向きの仕事に集中できるようになった。一箇所目の投稿先でかなり理不尽なレビュワーとエディターに当たってしまい、相当リソースを浪費してしまったが、博士で主著で書いた5本の中でも一番好きな仕事だったので、手間ひまかけていいものにできたのは良かった。
  • ポスドクスタート時に応募していたフェローシップの2本目のアクセプトをもらうことができた。ラボの過去の仕事の威光を借りているだけなので正直自分の手柄という訳ではないが、とりあえず27年春まで雇用の心配はしなくていいのは助かる。
  • 年の前半は特にハエでの装置を応用したゼブラフィッシュ用のVR装置の作成と、隣のラボのお下がりの2光子顕微鏡のリノベーションにかなりの時間を使った。
    • 博士課程を通して一つ懸案事項だった、「装置のエンジニアリングができない」という点について、これでかなり自信をつけることができた。
    • 実質的に専用の顕微鏡を手に入れたことで、装置のアベイラビリティで仕事が進まなくなってしまう、という状況はだいぶ回避できるようになった。
  • 並行して進めている2プロジェクトの両方で、一応論文のコアになりうるような取っ掛かりの結果が出てき始めた。
    • 23年春くらいまではとにかく探索的な実験の手数を打つ、という感じだったが、もうすこし目的意識を持って実験を計画することができるようになったので、これはモチベーション面でかなりプラスだった。
  • 学会・シンポなどに色々顔を出して、分野で活躍している研究者やボスの友達に顔を見せることができた(まだまとまった成果を提示できたわけではないので、覚えられているかはともかく)。
  • 生活が落ち着いてきて、職場での生活改善(弁当の自炊、コーヒーメーカーの導入)とか趣味(編み物、お絵描き、コンサートとオペラ鑑賞、旅行とハイキング、ピアノレッスン)に時間とお金を使う余裕が出てきた。
    • 特に長年念願だったピアノレッスンを11月に始められたのがよかった。仕事以外に定期的なコミットメントがあることで、生活にリズムと方向性が出てきている。
    • 2023年はコンサートに20回足を運んだ(うちオペラ8回)。

良くなかったこと

  • 事務方とのミスコミュニケーションで契約更新が遅れて給与が未払いの月が出たり、建て替えた学会参加費がドル建て小切手で戻ってきて振り出せなかったり、予想外の銭失いが発生した。もちろん金持ちになろうと思ってポスドクをやっているわけではないが、赤字が出ては困るし士気に関わる。まあ一過性のものだとは思うので、忘れて前向きに頑張りたい。
  • ラボ・研究所・大学・役所など、あらゆるレベルで事務の仕事が遅すぎる。その結果、壊れた装置の修理や、実験に必要なパーツ・動物のオーダーに異常に時間がかかり、思ったように仕事を進められないことが多かった。この辺は、アメリカ(の金持ち大学)なり、せめてドイツでもマックス・プランクとかにいたらもう少しマシだったのかと思わずにはいられない。事務の遅さ自体は自力ではいかんともしがたいので、常に手元にパラレルに進められる仕事を多く用意しておくとか、時間を効率的に使うための工夫をしたい。
  • 前項とややリンクして、ボスが忙しすぎて大してメンタリングを受けられなかったのが残念だった。メンターとしてのボスの機能に期待するというよりも、今の環境を活かしてどう自分がやりたいことをやるか?というマインドセットへの転換が必要だと感じた。
  • 引き続き体調を崩していることが多かった(風邪3回、コロナ再感染)。

今後のことなど

  • 「ポスドク」であるということに慣れてくるにつれ、時期尚早ではあるが出口戦略について思いを馳せることが増えた。妻が日本にいるので基本的には日本でポジションを探したいのだが、PIではない助教職をできればやりたくないという気持ちもある。ただそれが高望みなのかどうかはよくわかっていない。
  • 就職を念頭に自分のポートフォリオを顧みて、自分より一世代(5〜10年)上の若手PIと比べると、数はともかく(所謂”CNS””姉妹誌”クラスの)大きい仕事がないというのが不本意ながら気にかかる。これまで自分のハエの仕事は、その手の雑誌からは中身の質以前に「問題自体が面白くない(≒引用数が見込めない)」という蹴られ方を一貫してしてきた。エディターの鑑識眼の程度はさておき、(何も解けない認知心理学の反動で)自分が「解ける度」を優先してPhDの間あえて地味なテーマを選んできたというのは事実だ。逆に、稚魚の認知機能という今のテーマは「解ける度」と「面白さ」のパレートフロント上で「面白さ」の方へ少しスライドする気持ちで設定したものだ。
  • 過去10年で”ビッグジャーナル”に載った魚の論文の共通点を振り返ると、基本的には新しい行動パラダイム+全脳イメージングによる神経相関の同定、という形式をとったものが多い。一応細胞レベルの解像度での記録が可能とはいえ、こういう話のロジックは初期のfMRIによるBrain mapping論文に近いものが多い印象がある。この「脳幹fMRI」ともいうべきアプローチは、同じ”微小脳”モデルでもハエで主流のsplit Gal4による細胞種レベルのCircuit dissectionアプローチとは真逆だ(良し悪しではなく、後者にも視野狭窄という問題点がある)。この技術的制約による魚‐ハエ間の(鳥の目VS虫の目的)アプローチの差異を、ボスと自分の考え方の間に感じることが多い(例えばボスは行動を決まったカテゴリーではなく柔軟に捉えて、アンバイアスドな実験をする、みたいな言い方を好む)。
  • ただ00年代中盤以降単純なBrain mapping論文が流行らなくなったのと同じように、脳幹fMRI的なアプローチが賞味期限を迎えつつある気配もある。むしろ、コネクトームやトランスクリプトミクスによる細胞種のカテゴリ化、光遺伝学ツールの改良などで、魚にあっても「虫の目」的アプローチがエッジになっていく――というかそうなって初めて「虫の目」と「鳥の目」を両立できるゼブラフィッシュ稚魚というモデルの真価が発揮されるだろう、というのが自分のベットである(ラボの論文もそういう方向に向かっている)。
  • 自分の専門性はコネクトームや分子生物学的なツールを作ることではない(し、そうするつもりもない)ので、技術の先端になるべく早くキャッチアップしつつ、行動パラダイムとかの次元で的確で面白い問いを発するのが今後も自分の戦い方になっていくと思う。2023年中は回路に直接介入するような実験はできなかったので、今年の特に前半は手間でもそういう実験の準備(装置のエンジニアリング、魚の注文など)に注力したい。
根を詰めすぎない程度に頑張ってやっていこうと思います。

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