2020年12月31日木曜日

オペラ

オペラを約50本観た。

高校の部活でオーケストラを始めたのをきっかけにクラシック音楽を聴くようになって約十数年、管弦楽だけでなく室内楽・器楽・宗教音楽などもそれなりに広く聴いてきたつもりだったけれど、オペラだけはとにかく長いのと、そもそも舞台を観ないとわからないというので敬遠してきていた。今年の2月に、高校・大学を通じて一緒にオーケストラをやっていた大のオペラファンの友人がメトロポリタン歌劇場まで遠征に来ていたのと会って話す機会があって、それをきっかけに自分もせっかく近いのでメトに足を運んでみようかな、と思いはじめていた矢先、パンデミックでシーズンが全キャンセルになってしまった。その代わりロックダウンでたくさん暇な時間ができたので、各種配信等を利用しつつ、主要なオペラを時系列で順番に観ていくことにした。

これまでに観た作品は以下の通り。
  • モンテヴェルディ 『オルフェオ』『ポッペーアの戴冠』
  • パーセル 『ディドとエネアス』
  • ヘンデル 『アグリッピーナ』『セルセ』
  • ラモー 『優雅なインドの国々』
  • グルック 『オルフェオとエウリディーチェ』
  • モーツァルト 『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』
  • ベートーヴェン 『フィデリオ』
  • ロッシーニ 『セビリアの理髪師』『セミラーミデ』『ウィリアム・テル』
  • ウェーバー 『魔弾の射手』
  • ドニゼッティ 『愛の妙薬』
  • ベルリオーズ 『ベンヴェヌート・チェッリーニ』
  • ヴェルディ 『ナブッコ』『リゴレット』『椿姫』『アイーダ』『オテロ』
  • マイアベーア 『ユグノー教徒』
  • グリンカ 『ルスランとリュドミラ』
  • ワーグナー 『ローエングリン』『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『ニーベルングの指環』(『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』)
  • オッフェンバック 『地獄のオルフェ』
  • グノー 『ファウスト』
  • スメタナ 『売られた花嫁』
  • ムソルグスキー 『ボリス・ゴドゥノフ』
  • ビゼー 『カルメン』
  • ヨハン・シュトラウス2世 『こうもり』
  • サン・サーンス 『サムソンとデリラ』
  • チャイコフスキー 『エフゲニー・オネーギン』『スペードの女王』
  • マスネ 『マノン』『ウェルテル』
  • マスカーニ 『カヴァレリア・ルスティカーナ』
  • レオンカヴァッロ 『道化師』
  • ジョルダーノ 『アンドレア・シェニエ』
  • フンパーディンク 『ヘンゼルとグレーテル』
  • プッチーニ 『ラ・ボエーム』

全体を通じての簡単な感想を何点か。
  • 全く知らなかったのだが、オペラは自然発生的に形成されたジャンルではなく、1600年前後・ルネサンス期のフィレンツェでギリシア悲劇を当時の方法(=音楽付き)で蘇演しようという(やや学術的な)目的で発明された形式だそうだ。自分の見た作品で一番古いのは1607年の『オルフェオ』で、これはその後のオペラ作品のようなレチタティーヴォとアリアによる会話劇とはやや趣が異なって、モブキャラや合唱による説明でプロットが進む点が特徴的だった。

  • オペラの上演には器楽や管弦楽以上に多大なコストと手間がかかるので、オペラの歴史は「芸術上の革新」と「利益の上がるエンターテインメント」という時に相反する要請のせめぎあいの中で作られてきたのだなということが感じられた。たとえばロッシーニの『ウィリアム・テル』やマイアベーアの『ユグノー教徒』あたりを祖とするパリオペラ座の”グランド・オペラ”は、単に音楽の中身だけでなく、ガス燈・機械式の舞台転換など、舞台装置のテクノロジー的な進歩や、コンセルヴァトワールの設立によってはじめて可能になったプロの常設合唱団などの制度的な革新を存分に活用することで成立している(Wikipediaのグランド・オペラの解説が面白かった)。

  • 時系列でオペラを追っていく中で、歴史の動きを感じられて面白かったのが、フランス革命を挟んで20年隔たった、モーツァルトのオペラ群とベートーヴェンの『フィデリオ』の対比。モーツァルトが基本的に宮廷コメディ的な作品を書いていたのに対して、『フィデリオ』は「政治犯の妻による救出劇」を描いた現代的なプロットで(演出で印象が決まっているような部分はあるにせよ)、市民社会の成立がオペラに与えた影響が特に強く感じられた。そのさらに100年後のジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』では、今度はフランス革命そのものがオペラの題材になっている、というのも面白かった。似たような”オペラの制作環境自体のオペラ化”が起きていて面白かったのがヴェルディの『リゴレット』で、舞台となるマントヴァ公爵邸はまさにモンテヴェルディが宮廷音楽家として最初期のオペラを書いていた職場なのだった。

  • これらはすべて100年以上も前の作品なので、中には今「素」で上演するにはあまりに差別的すぎる内容のものもいくつかあったが、そのうち露骨に反ユダヤ的なワーグナーの『マイスタージンガー』(2017年のバイロイトでの上演)と女性差別的なモーツァルトの『魔笛』(昨年の新国立劇場での上演)が演出上対照的なアプローチを取っていて興味深かった。『マイスタージンガー』の方は、劇全体を「ワーグナー一家が上演している劇中劇」という体裁に仕立てて作品の反ユダヤ性(=ユダヤ人批評家ハンスリックへの露骨な当てつけ)をあえて強調しつつ、舞台装置全体をニュルンベルク裁判の法廷と重ねることで「(神聖ローマ)帝国が滅びてもドイツ芸術は不滅」という結びの合唱をナチ戦犯の弁明に聴かせる凝った演出だった。一方『魔笛』のほうはそういった読み替えなしの「素」の演出で、ただし観客がドイツ語を解しないのをいいことに「女は喋ってばかりで役たたず、女の言うことを信じるな」といったセリフを字幕でなんとなくマイルドにごまかしていた。(小説・映画と異なり)演出によってもとのテキストに批評的なスタンスをとりつつ見せることができるというのが再現芸術のいいところだと思うので、その点新国立の『魔笛』は勿体なかったと感じた(前にイェールの音楽院が上演していた『魔笛』は作品のちぐはぐな前時代性をうまくSarcasticに見せることに成功していたように思う)。

  • 個人的には、歴史悲劇のような作品よりも、個人のドラマを繊細に描いているタイプの作品のほうが好みだった。その観点で特に良かったのが『椿姫』『カルメン』『エフゲニー・オネーギン』『マノン』『道化師』など。音楽面では器楽・管弦楽ばかり聴いているとあまり耳にしないイタリア音楽が新鮮だった。マイアベーア・グノー・マスネなどどちらかといえばオペラ専門のフランスの作曲家も楽しんで聴いた(特にグノー)。ワーグナーの影響力の大きさを改めてよく理解できたのも良かった(音楽はすごい一方劇としては退屈だったが)。

今後はいよいよ20世紀に突入して、プッチーニ、ヤナーチェク、リヒャルト・シュトラウス
の作品群を中心に鑑賞していく予定。いったん20世紀中盤まで到達したら、戻って観残した作品をチェックしようと思う。それ以前に早く歌劇場が再オープンすると良いのだが…。

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