今年はパンデミックの影響で3月以降ほぼ徒歩圏内から出(られ)ない生活が続き、個人的な思い出に残るような出来事は少ない一年でした(世の中は大騒ぎでしたが)。
仕事
仕事の面では、PhD前半約3年ぶんの仕事をまとめた筆頭論文2報の出版にこぎつけられたのが最大の成果になりました(Tanaka & Clark, 2020; Agrochao, Tanaka et al. 2020)[1]。論文の内容については別に紹介記事を設けます。これらの論文の執筆・投稿・リビジョンがちょうど研究棟が封鎖されていた3〜5月に重なったのは不幸中の幸いでした。その他 COSYNE 20, CSHL Neuronal Circuits Meeting, Janelia MCN Junior Workshop の3件の学会に参加しました(COSYNEのみ現地開催)。特にJaneliaのワークショップは発表よりディスカッション重視のスケジュールで、今後の方向性を考える上で良い刺激になりました。「視覚特徴量検出の神経機構をハエで解明する」という現在の研究テーマは、「いわゆるMarrの3つの記述レベルすべてに愚直に取り組むこと」と「神経計算の複雑さ・面白さ」の2軸のパレート・フロント上にあると自分では思っているのですが、今後このパレート・フロントから離れずにさらにテーマに一捻り加え、自分ならではのニッチを作っていくためにどうすればいいか、ということを考えています[2]。
自分の分野で今年とてもエポックメイキングだったのが、1月のJanelia研究所によるショウジョウバエの電顕半脳コネクトームの公開でした。このデータベースの公開によって、ハエのほぼ全脳の全細胞(種)およびそのつながりがカタログ化され、誰にでもアクセス可能になりました(neuPrint)。また、電顕画像から解剖学的に同定された細胞種を遺伝学的に同定された細胞種とマッチングするためのツール(neuronBridge)が登場したことで、任意の神経細胞種の活動を選択的に操作・記録することが非常に容易にできるようになりました。このコネクトームはすでに純粋な解剖学的研究だけでなく生理学的・計算論的な研究にも大きなインパクトを与えており[3]、自分自身のプロジェクトでも去年までは考えられなかったような問いを扱うことができるようになっているという実感があります。あまりニュース等で取り沙汰されているような気配はないですが、個人的にはこのコネクトーム公開は2003年のヒトゲノム解読に匹敵するような科学史上の大事件だったのではないかと思っています。
生活
冒頭にも書きましたが、ルームメイトにつれられて食料品の買い出しや海水浴などに出かけた数回を除いて、3月以降徒歩圏内から出られない生活が続いています。パンデミック以前もそれほど頻繁に遠出をしていたわけではないですが(年数回美術館やコンサート目当てにNYCなりボストンに出る程度)、ここまで缶詰状態だとさすがに息苦しさを感じます。他にやることがないぶんかえって仕事に集中できたというポジティブな側面もなくはないですが、東京にいた頃と比べて活動や交友関係の幅が狭まり、知的な厚みなり自己複雑性が下がっているというか、平たく言うと人として薄っぺらくなってきているような焦りがあります。これは、能動的に人間関係をメンテナンスする努力を怠ってきたツケかもしれないし、小さい田舎の街に住むことの必然的帰結かもしれないです。たぶん両方でしょう。
家で楽しめる娯楽として今年新しく取り上げたのがオペラでした。各種配信等を活用しつつ、1600年代の作品から時系列で約50本観ました。これについては別に感想記事を設けようと思います。オペラ以外では、読書・ゲーム・ピアノの練習・作曲などをして時間を潰しました。以下に簡単にまとめます。
今年読んだ本
完全なリストは読書メーターにまとまっています(たかだか十数冊ですが)。ここでは特に面白かった本を紹介します。
- 小熊英二『日本社会のしくみ』
日本社会の様々な慣行がいかに明治期の官僚制とそれに範をとった企業の雇用慣行から経路依存的にできあがってきたかを解説。中身の学術的に批判的な検討は自分にはできないですが、社会的な現象(例えば自分の興味のあるところでは、なぜ日本には院卒の仕事が少ないのかなど)を、文化などに帰着させるのではなく、雇用制度史の観点から見るのは、説得力のある説明だと感じました。 - M. Fisher "Captialist Realism"
R. Bregman "Utopia for Realists"
J. Z. Muller "The Tyranny of Metrics"
D. Graeber "Bullshit Jobs"
去年の夏から暮にかけて木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』とウェルベックを数冊まとめて読んだのですが、そこから発展した興味で高度資本主義社会の閉塞感を扱った本をいくつか読みました。とくに”Utopia”以外の3冊は、哲学者(Fisher)・社会学者(Muller)・人類学者(Graeber)が「事務が多すぎて研究ができない」という自分自身の悩みを共通の出発点にしつつ、分析の手法が面白い対照を見せていて、セットで読んで良かったです。GDPなどの数値目標を最適化することが自己目的化した結果 Perverse incentive が生じてしまう、という現象のダイナミクスの記述としては”Tyranny”が一番スッキリまとまっていたと思います。”Utopia”はその数値最適化・問題解決主義の行き詰まりを乗り越えるために、(左派が)ベーシックインカムのような大胆な未来像を提示していく(=ゴールそのものを再設定する)必要がある、という議論をしている本でした。”Utopia”は(中身の詳細以上に)夢想的にならずに世の中に対して前向きな気持ちにしてくれるという点で貴重な本だったと思います。 - U. Eco "Foucault's Pendulum"
去年にも増して世の中が陰謀論で溢れた一年だったので、そういう意味でタイムリーでした。 - P. Watts "Blindsight" + "Echopraxia"
学部の頃から読みたいと思いつつ未読だったワッツについに手を付けました。想像以上に自分の専門に近いアイディアが満載で(にもかかわらず)楽しめました。元ネタの科学を知っているからこそ嘘くさくてつまらない、という場合のほうが多い気がするので、これはすごいことだと思います。翻訳でどうなっているかわからないですが、作者がPhDを持っているだけあって未来生物学ジャーゴンがそれらしい感じになっているのが面白かったです。
今年遊んだゲーム
音楽
2021年に向けて
脚注
[1] 前回のポストで言及したP2/P1にそれぞれ対応します。
[2] 今の所、「Marrの3段階」のうち特に計算理論のレベルをより追求するためにショウジョウバエをたたき台にしつつ昆虫・ハエ類における視覚計算の進化を扱うか、逆に「計算の面白さ」を追求して意思決定・短期記憶・予測といったより「認知的」テーマを扱うためにゼブラフィッシュ稚魚にモデルをスライドさせるか、という2つの方向性を検討しています。
[3] とくに中心複合体のネットワークにおける位置記憶の実装に関する研究の進展には目覚ましいものがありました(Turner-Evans et al. 2020; Hulse et al. 2020; Lyu, Abbott & Maimon 2020; Lu et al. 2020)。
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