2024年10月13日日曜日

聴いたもの(2024年10月〜)

随時更新します。
  • 10/10/2024: Staatsoper / Lothar Koenigs
    コルンゴルト:『死の都』

    おどろおどろしいタイトルから察せられる通り、ベルギーの象徴主義作家ローデンバックによる原作は「死んだ妻を忘れられない男が、妻に容姿だけは似た放蕩娘に熱を上げた挙句幻滅して殺してしまう」という陰気な筋で、これだけ聞くと『ペレアス』なり『ヴォツェック』みたいな音楽を想像してしまうが、コルンゴルトの音楽は『ティル・オイレンシュピーゲル』と『ラ・ボエーム』(とスター・ウォーズ)を掛け合わせたみたいな雰囲気で、しかも女とのいざこざを全て"夢オチ"にした上、男が過去を惜しみつつも前を向いて生きていく決意をするという(クリスマス・キャロルみたいな)改変がされていることで、なぜか『ばらの騎士』的な後味に仕上がっておりビックリしてしまった。

    特に前半、半狂乱の男がワタワタしているだけのシーン等にこれでもかとエピックな音楽がついていたりするのがあまりしっくりこないという気持ちで観ていたが、実はオチはコメディであるという前提で観直したらまた感想が変わるかもしれない。3幕の殺人に至るシーンなどはさすがに迫力があった。ウィキペディアには「過去を惜しみつつも前向きに生きる」という本作のオチが戦間期の聴衆に響いたという旨の記述があり、それは大人として戦前を経験していない1920年当時若干23歳のコルンゴルトの(いい意味での)軽々しさなのだろう(本当に祖国を失ってしまった第二次大戦後のコルンゴルトはこの作品をどう振り返ったのだろう)。作家は、妻の思い出にとらわれる主人公パウルより、若さと生の喜びに酔いしれるマリエッタに近いところに立っている。それはそれとして、台詞回しが現代的で話のテンポ感が速いので、尺の割に集中して見やすいのは素直にいいと思った。

    オケは終始シュトラウスの交響詩のような曲芸的なことをやっているのでスペクタクルとして観ていて面白かったが、リズムの複雑な部分などもうすこしメリハリを持って聴かせる余地もあったのではと思うところもあった。歌はとにかく主役2人が出づっぱりな上、音域がとにかく高く、三管編成の上から聴こえるように歌い通すのにまず一苦労、という感じで大変そうだった。舞台装置は、19世紀末の暗いブルージュを現代の画一化された郊外住宅に読み替えたうえで、その部屋を幕ごとに立体的に組み換え・積み重ね・回転させるなどしていて面白かった。特に男が妻の幻影にうなされながら街をさまようシーンなどを、大量のダブルを効果的に使って表現していたのが印象的だった。どうでもいいが、原作のブルージュに関するコンテクストはオペラ・演出によって完全に失われているのに、登場人物全員にブルージュは死の臭いの染み付いた陰気な街!みたいなボロクソ歌われているのな可笑しかった。ブルージュに何があるんだ。

  • 10/20/2024: MPhil / Tugan Sokhiev
    ブルックナー:交響曲第8番

    シーズンオープナーに続くブルックナー重点プログラムの第2弾ということで日曜のマチネで聴いてきた。ソヒエフはよく客演で来ているイメージがあるが聴きに行ったのは初。BRなどドイツ語のレビューサイトで「非常に美しいがおとなしすぎる」という評が複数出ており、概ね同じ感想を抱いた。ソヒエフは音量指示などをものすごく細かく出していて、とくにブルックナー特有のパウゼをものすごく自然に処理したりしていたのが印象的だったが、ブルックナーはもっとゴツゴツしていて欲しいという気持ちはあり、どちらかといえばドビュッシーとかを振っているのを聴きたい指揮者かもしれないと思った。ソヒエフとMPhilは11月上旬のアジアツアーでこの曲とシェヘラザードをやるらしく、サントリーではD席15000円というのでビックリしてしまった(この日は後ろの方で聴いて50ユーロとか)。ちなみにその翌週はラトルとBRSOが9番を提げて韓日台を巡るらしく、時期ぐらいズラせばいいのに…と思った。

  • 11/15/2024: BRSO / Simon Rattle
    リゲティ:アトモスフェール
    ワーグナー:『ローエングリン』より前奏曲
    ウェーベルン:6つの小品
    ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』より前奏曲と愛の死
    ブルックナー:交響曲第9番

    今シーズン2回目のブルックナー9番で、前よりも構造を理解した上で聴くことができたのが非常に良い体験だった。前半4曲はブルックナー9番(特にアダージョ)を準備した曲(ワーグナー)とそれによって予見された曲(リゲティとウェーベルン)をペアにした形になっていて(2曲ずつアタッカで演奏される)、かなり知的で面白いプログラム構成だと感じた。アトモスフェールは『2001年宇宙の旅』でもっぱら有名だが、とにかく音響的なところに力点がある曲なので生で聴けたのは良かった。2本のピッコロが短2度の高音でうなりを作り出すシーンを聴いていて、高校オケの合宿でフルートパートの人たちが寝坊した部員の耳元で目覚ましと称してそういう音を出していたのを思い出した。そういえば去年も11月中旬にウェーベルンなどを聴いており、無調音楽に冬の訪れを感じる形となった(?今週は雪も降りました)。6つの小品は完全にいわゆる「現代音楽」のサウンドなわけだが、作曲年(1908年)的にははるかにリゲティよりブルックナーの方に近く、ウェーベルンの先進性を感じる。ブルックナーに関しては、この間のソヒエフの8番の評で(否定的に)言われていた「破局あってこその救済」というところがしっかりハマっており、最後の(リゲティー・ウェーベルンを予言する)トーン・クラスターの強奏と一転して天国のようにのどかなコーダの対比がすばらしかった。ときに今回はケチって安売りになっていたバルコンの端の席に座ったのだが、「一部舞台が見えないかもしれない」というので何かと思ったら、斜め前に(放送響らしく)生中継のテレビカメラがあって、これが次の見せ場を作る人を先取りして追いかけてくれるので、特にリゲティ・ウェーベルンを聴いているときに参考になった。当日の放送がネット公開もされている模様。

  • 11/21/2024: Staatsoper / Azim Karimov
    ヴァインベルク:『乗船者』

    家族をポグロム・ホロコーストで失い、自身もソビエトで人種的理由による政治的迫害を受けたヴァインベルクが、アウシュヴィッツ生還者の自伝的小説を元に書いたオペラ。戦中アウシュヴィッツの看守をしていたことを隠して生きているドイツ人女性リザが、処刑されたはずの囚人マルタに瓜二つの女と旅客船で遭遇し、自らの過去を夫に打ち明けざるを得なくなる、という筋で、舞台上では旅客船と収容所の出来事が並行して展開される。オペラというフォーマットでホロコースト(とそれに規定される20世紀後半以降の現実)にこれだけ真正面から向き合った作品というのはほとんどないのではないかと思った。ヴァインベルクの音楽は基本的にはショスタコーヴィチが開拓したフォーマットの上に成り立っているという趣だが、ショスタコーヴィチよりも素直な印象を受けたのと、かなり大胆な引用が色々あるのが面白かった。叶わないとわかっている戦後の計画や絶望の中での祈りを囚人の女たちが思い思いに(ポーランド語・チェコ語・イディッシュ語で)歌い、その後銃殺されるシーンなどは『カルメル会』の断頭台への行進とかに通じるところがあるが、題材が現代に近い分だけ暴力のグロテスクさが際立って感じられた。最後は結局マルタ(?)の素性は明らかにされないまま、ポーランド語で「死者は彼らの受けた仕打ちを決して許さない」という旨の歌が静かに歌われて幕を閉じる。題材が題材なだけに、カタルシスに終わる古典的な意味での悲劇ではなく、現実の不条理さを観客に突きつける作品になっているという印象。ト書きでは舞台を上下に分け上を戦後の旅客船・下を戦中の収容所にする、という指示になっているようだが、今回の演出では基本的にはこの2階建てアイデアに乗っ取りつつ、そこにさらに「現代」のレイヤーを重ねて、老婆になり夫の骨壷を抱いたリザをほぼ黙役として配置することで、「死者は許さない」という言葉の射程を伸ばすようなしかけになっていた。

    ちなみに本作、日本語の円盤だと『女旅行者』という訳題がついているようなのだが、ヨーロッパ言語で強制的に表示されている性をわざわざ訳出するのは変だと思ったので、ここでは『乗船者』とした(ドイツ語では女性でDie Passagierin, 普通名詞に性のない英語ではThe Passengerになっている)。『夢遊病の女』とかも同じクチだが、それで行くなら『さまよえるオランダ男』とか『セビリヤの男理髪師』とかするのが筋だと思うのだが…。
雪の中観に行った。

  • 11/25/2024: Staatsoper / Emanuel Graf / Krzysztof Urbanski
    ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
    ストラヴィンスキー:『春の祭典』

    歌劇場のオーケストラの単体コンサート。前MPhilとのマーラー・ショスタコーヴィチを聴いたウルバンスキは相変わらず全て暗譜で振っていた。ドヴォルザークは管と弦のテンポ感が揃い出すまでにしばらくかかったり、カデンツァ終わりのトゥッティの入りがかなり怪しいところが多かった。『春の祭典』のほうがウルバンスキの十八番という感じがあり、前後半ともに終盤はほとんどオケの方を見ずにあまりにグニャグニャ踊っているので聴きながら大笑いしてしまった。それでも不思議と破綻なく迫力のある演奏になっているのですごいのだが、(暗譜も含めて)本当にそれは演奏上の必然性に迫られてそうなっているのかというとそうでもない気がする(それも含めて見世物のとしてのコンサートなのだと言われれば勿論そうだが)。



    見たことない数の譜面台がズラリと横並びになっていて面白かった。

  • 1/11/2025: BRSO / Herbert Blomstedt (中止)
    ストラヴィンスキー:詩篇交響曲
    メンデルスゾーン:讃歌(交響曲第2番)

    例年1月にブロムシュテットがBRSOを振りに来るのだが、2023年は日本からの帰国当日ということで疲れすぎて行けず、24年は体調不良で代わりにシモーヌ・ヤングが振っていた。今年も11日は正月休みからの帰国当日だったのだが、幸い帰国便が早朝ミュンヘン着だったので、3度目の正直ということで急遽立ち見券を取ってヘラクレスザールに向かった。するとホール入口に何やら張り紙がしてあり、なんと不測の設備故障でコンサートがキャンセルになったということだった(翌週BRSOから届いた手紙によると、開演直前になって照明がなぜか突然点滅しはじめ、電源を入れ直しても直らなかったためとのこと)。というわけで今年もブロムシュテットに辿り着けなかった。ただ代わりに前日の公演の『讃歌』の録音をCDにして送ってくれるということで、これを楽しみに待つこととする。

    中止のお知らせ。


  • 1/25/2025: MPhil / Barbara Hannigan
    アイヴズ:歌曲『川の畔で』
    アイヴズ:教会の尖塔と山脈から
    クロフォード=シーガー:リソルティ・ロソルティ
    リーガー:20のヴァイオリンのための『ソノリティの習作』
    ラッグルス:大オーケストラのための『太陽を踏むもの』
    ロジャース:カルーセル・ワルツ
    ガーシュウィン:『ポーギーとベス』による交響的絵画

    ”歌い振り”で有名(?)なハニガンのアメリカ音楽プログラム。前半は特にハニガン肝いりのアイヴズを中心とした戦前実験音楽を並べてあり、かなり色々珍しいものを聞けたという満足感があった。「川の畔で」は讃美歌の編曲、伴奏付きの独唱で、全体的には非機能的な伴奏の和声の中に、時折甘い7とか9の和音が鳴るのが印象的だった(アイヴズが大量の歌曲を書いていたのをそもそも知らなかった)。『教会の尖塔と〜』はステージ上に離れて配置された4台のチューブラーベルと、客席の金管バンダによる空間的な音響の実験という趣の曲。クロフォード=シーガーは自分が聴きかじった限りでは相当独特な前衛作家というイメージだったが、『リソルティ・ロソルティ』は民謡(ヒッチコックの『鳥』の冒頭シーンや継子でフォーク歌手のピート・シーガーにも歌われている)を元にした中期ストラヴィンスキー風の新古典主義的で聴きやすい作品。リーガーとラッグルスはともにアイヴズのサークル内にあって十二音技法の影響を受けていた作家らしい。リーガーは無調でありつつもオネゲルとかプロコフィエフに近いようなスケルツォ的な要素のある曲。ラッグルスは逆に表現主義的というか、シェーンベルクの大規模作品に近いような重厚なテクスチャの大作で、近くに座っていたのもあってちょっとしんどかった。後半は打って変わって同時期のエンタメ寄りの作品群で、ミュンヘンフィルが真面目に”Summertime”とか”It ain't necessarily so”を弾いているのがちょっと可笑しかった。ハニガンは思った以上にかなりテンションの高い指揮をしていた。あと舞台上で作品解説のスピーチを入れていたのだが、そのときに「私は実はカナダ人で…少なくとも”まだ”カナダ人なのですが…」と暗にトランプの件に言及して大笑いをさらっていた。自分は学部生のときにアメリカ現代音楽の授業を取っていて、アイヴズ・カウエル・カーターを褒めてコープランド・トムソン・ピストン・バーバー・ハンソン等ヨーロッパの流れを汲んだアカデミックな楽派をボロクソ言う評論とかを読まされたのだが、この「真にアメリカ的なクラシック音楽の始祖としてのアイヴズ」という言説は今思うと(美術におけるグリーンバーグによる抽象表現主義の理論化と同じような意味で)批評家が意識的・戦略的に作っていったものなのだろうなと思った。

  • 2/6/2025: Gärtnerplatztheater / Rubén Dubrovsky
    ヘンデル:『アルチーナ』

    オペレッタやミュージカルを主軸にしているゲルトナープラッツ劇場でヘンデルを観た。流石に州立劇場よりはこぢんまりとしているが、ちゃんと馬蹄型のヨーロッパの劇場然としていて、舞台もかなり奥行きがあり良かった。筋としては、「魔女アルチーナの島に魔法で囚われた騎士を、その恋人ブラダマンテが助けに来る」という救出劇なのだが、アルチーナが本当に騎士ルッジェーロを愛していたということを自覚した時に魔法の力を失ってしまうというところがドラマの核になっている。魔法を失って島に取り残されてしまうアルチーナの悲哀に(例えば『魔笛』のモナスタトスとかと同じように)ちゃんと焦点が当てられているというところがこの作品のえらいところだと思われる。演出は、アルチーナの魔法を「夜の街」「クィア」的な表象で表すのがメインの仕掛けになっていた(魔女アルチーナはスーツを、ブラダマンテの師匠メリッソはドラァグの衣装を着ており、それがト書き通りのブラダマンテの男装ともちゃんとリンクしている)。最後、アルチーナの魔法が解けるとともに突如「昼」の世界が現れ(背景にいかにも中流階級的な庭付き戸建ての家が降りてきて、アルチーナ以外の全員がカジュアルな”普通の”格好で再登場する)、アルチーナは「ゴミ袋に大量の荷物を詰めてバス停に住んでいるホームレス」に転落してしまう。すでに舞台上に存在しているオブジェクトの意味づけを変えることでこの転換を成し遂げているのがかなり鮮やかで特に印象に残った。歌手は各地の地方劇場で頑張っている若手みたいな人が中心の印象だったが思った以上に良かった。特にブラダマンテのJägerováが良かった。

  • 2/25/2025: Staatsoper / Vladimir Jurowski
    ヨハン・シュトラウス2世:『こうもり』

    『マイスタージンガー』『女狐』『フィガロ』に続いて観るコスキー演出の『こうもり』。ユロフスキはリゲティとかワインベルクとか、東の暗いオペラでばかり登壇する印象だったのでこういうのも振るのだと思った。演出はエンタメに振り切っていて、バレエがたくさん入っている他、フロッシュにタップダンサーを起用して観客とコールアンドレスポンスをさせるなどしていたので驚いた。

  • 3/13/2025: MPhil / Christiane Karg / John Adams
    アダムズ:ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン
    ドビュッシー:『ボードレールの本』(『ボードレールの5つの詩』のアダムズ編曲)
    アダムズ:ハルモニーレーレ

    アダムズの自作自演。とりわけ指揮が上手いという感じでは無かったが70代後半にしてはめちゃくちゃ元気という印象を受けた。目玉の「ハルモニーレーレ」はやっと自分のスタイルを確立し出した30代のアダムズが、批評家にこき下ろされて突入したスランプからの脱出の糸口となった曲らしく、エピソードがラフマニノフみたいだと思った。ライヒ・グラス・ライリーらのミニマリズムをスタイルとして吸収しつつ、シベリウスやマーラーの後期ロマン派イディオムも活用するという、ポストモダン建築的な建て付けの曲で、確かに中間楽章はシベリウスの4番のような趣がある。ミュンヘンの客にしては珍しく勝手がわからなかったようで毎楽章間で拍手が起きていたのが可笑しかった。珍しいものが聴けたので良かった。

  • 3/21/2025: Staatsoper / Marc Albrecht
    ヤナーチェク:『カーチャ・カバノヴァー』

    本作はネットでピアノ・リダクション版を観ただけだったが、オケで聴くと弦楽器のソロや打楽器の使い方などが面白いところが多くより楽しめた。一応3幕ものだがパウゼなし2時間弱というコンパクトな尺で、テーマ的にも『カヴァレリア』『道化師』に近い印象。(単に自分が筋をしっかり復習せずに行ったからというのもあるが、)カーチャが自由を夢見るアリアを歌って急に自殺して幕、となるのでやや尻切れトンボな気がしなくもない。演出はもはやお馴染みのワリコフスキで、舞台にカメラを置いたり、昔(70年代?)のダンスホールみたいな意匠を散りばめてレトロモダンな雰囲気を出したりしていたが、テキストに対して批評的な角度を取るとかいうわけでもなく、邪魔にならないのが取り柄という感じだった。

  • 3/29/2025: MPhil / Vilde Frang / Mirga Gražinytė-Tyla
    バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント
    シューマン:ヴァイオリン協奏曲
    シューマン:交響曲第1番

    『復活』以来のグラジニーテ=ティーラ。細かい場面転換を振り分けるのがうまく、シンフォニーは文句なしの名演。「冒頭のファンファーレを遅めに朗々と響かせた直後、急速なパッセージでかなり加速する」とか、「1楽章コーダのクレッシェンドを手前でグッと押さえた上で、ドルチェを静かにゆったり聴かせる」とか、「フィナーレのロンド主題それぞれに細かいテンポの緩急をつけた上でホルンとフルートのカデンツァを思い切り自由にさせる」とか、サプライズでありつつも説得力のある細かい仕掛けが満載だった印象。アゴーギグやダイナミクスの「加速度」をしっかり指示しているというのがわかり、見ていて面白い指揮だった。バルトークは真面目に聞いたことのない曲だったが充実した楽しい曲だった。ソロとトゥッティの掛け合いが面白いところが多いのだが、遠くに座ってしまったのでソロが少し聴こえづらかったのが残念だった。コンチェルトは覚えていた以上にオケが伴奏に徹するタイプの曲で、遅いのか速いのかわからない独特のフィールがあり、うまく聴かすのが難しそうという印象だった。フラングはsubito pなどをうまく使った意図の通った演奏をしていたが、ちょっとトゥッティとのテンション感が揃っていない感じが否めなかった。特に1楽章のトゥッティへの戻りのところがかなり間延びして聴こえてしまったのが残念だった。その点ソリストアンコールのジグ(曲名が聞き取れなかった)が一番しっくりきたかもしれない。


0 件のコメント:

コメントを投稿